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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)10351号 判決

原告 尾畑虎彦

右訴訟代理人弁護士 奥野彦六

同 奥野善彦

同 森田聡

同 藤森功

右訴訟復代理人弁護士 中島清

被告 内山仁

同 孫閏斗

右被告両名訴訟代理人弁護士 萩原平

同 破入信夫

右訴訟復代理人弁護士 大山英雄

同 今井健子

主文

一  別紙目録記載の建物が原告の所有であることを確認する。

二  原告に対し被告内山仁は別紙目録記載の建物につき東京法務局世田谷出張所昭和四二年四月五日受付第一一五八九号をもってなされた所有権移転登記の、被告孫閏斗は別紙目録記載の建物につき同出張所同年六月二一日受付第二一四二七号をもってなされた所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。

三  被告孫閏斗は原告に対し別紙目録記載の建物の明渡をせよ。

四  原告の被告等に対するその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用は五分し、その一を原告の、その四を被告等の各負担とする。

六  この判決は第三項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文第一、第二項同旨ならびに「被告等は原告に対し別紙目録記載の建物を明渡し、且つ各自原告に対し昭和四二年一〇月二七日以降右明渡済に至るまで一ヶ月五万円の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告等の負担とする。」旨の判決ならびに建物明渡、金員支払請求につき仮執行の宣言。

二  被告等

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

旨の判決。

第二主張

一  原告(請求原因)

(一)  別紙目録記載の建物(以下「本件建物」という。)はもと訴外野原新一の所有であったが、原告は昭和三〇年一一月一日野原新一から本件建物を買受けて所有権を取得し、同日その旨の登記を経由した。

(二)  しかるに、本件建物につき東京法務局世田谷出張所昭和四二年四月五日受付第一一五八九号をもって同日付売買を原因とする被告内山名義の所有権移転登記、同出張所同年六月二一日受付第二一四二七号をもって同日付売買を原因とする被告孫名義の所有権移転登記が存在する。

(三)  被告内山は、同被告を申立人、原告および訴外尾畑芳江(当時原告の妻であった。)を相手方とする渋谷簡易裁判所昭和四二年(イ)第五五号和解事件につき昭和四二年五月一五日成立した別紙和解条項(その第五項の「別紙目録記載の物件」とは本件建物を指す。)の和解(以下「本件和解」という。)調書の執行力ある正本に基づき昭和四二年六月一五日本件建物明渡の強制執行をなし、本件建物の占有を取得し、被告孫は本件建物を被告内山から買受けたとして被告内山と共同してこれを占有している。しかし、相手方たる原告の代理人を兼ねて本件和解期日に出頭した尾畑芳江に対し原告は和解の代理権を授与しなかったし、また、本件和解において被告孫は申立人たる被告内山になりすまし、申立人その人のごとく振舞って申立その他の訴訟行為をなしたものである。このような瑕疵ある本件和解に基づく強制執行によって取得された被告等の占有は違法であり、原告はこれにより一ヶ月五万円の賃料相当額の損害を蒙っている。

(四)  よって、原告は本件建物が原告の所有であることの確認を求めるとともに、被告等に対し前記各登記の抹消登記手続、本件建物の明渡ならびに本件訴状送達の日の翌日である昭和四二年一〇月二七日以降右建物明渡済に至るまで一ヶ月五万円の割合による損害金の連帯支払を請求する。

二  被告等(請求原因に対する認否および抗弁)

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実は認める。

(三)  同(三)の事実中被告が本件和解調書の執行力ある正本に基づき原告主張の日に本件建物明渡の強制執行をなし、本件建物を占有したこと、被告孫が現に本件建物を占有していること、尾畑芳江が相手方たる原告の代理人を兼ねて本件和解期日に出頭したことは認めるが、本件建物の賃料相当額は争う。その余の事実は否認する。被告内山は昭和四二年六月二一日本件建物を被告に売渡し、引渡をして、本件建物を現に占有していない。

(四)  同(四)は争う。

(五)  (抗弁)

1 被告内山は昭和四二年四月五日、原告から本件建物を代金四三〇万円とし、買戻期限を昭和四二年六月五日とする買戻特約付で買受けて所有権を取得し、同年六月二一日被告孫に対し本件建物を代金四三〇万円で売渡した。

2 被告内山と原告間の本件建物売買契約は尾畑芳江が原告から授与された代理権に基づき原告の代理人として締結した。

3 仮に原告が尾畑芳江に本件建物売買の代理権を授与しなかったとしても、原告は尾畑芳江に対して、(1)昭和三八年一二月二七日頃本件建物を担保に供して訴外鈴木ハマから金員を借受ける代理権を授与し、(2)鈴木ハマが本件建物の競売を申立てた際、鈴木ハマに弁済すべき金員を他から借受け、鈴木ハマに弁済し、且つ弁済契約を締結し、競売申立取下の折衝等をする代理権を授与し、また、(3)尾畑芳江は原告の妻として日常家事代理権を有しており、同人は叙上の代理権の範囲を越えて本件建物の売買契約を締結したものであるところ、尾畑芳江は契約に際し原告の印鑑証明書、原告名義の委任状を提示し、「原告からすべて委任されている。」と述べたので、被告内山は尾畑芳江が真実売買契約締結の代理権を有するものと信じ、そのように信ずるにつき正当の理由を有していたものであるから原告は民法第一一〇条の規定により本件建物の売買契約につきその責に任ずべきである。

三  原告(抗弁に対する認否)

抗弁事実は否認する。被告主張の売買契約の際被告内山と称して振舞っていたのは被告孫である。

第三証拠≪省略≫

理由

一  本件建物はもと訴外野原新一の所有であったが、原告が昭和三〇年一一月一日野原新一から本件建物を買受けて所有権を取得し、同日その旨の登記を経由したこと、本件建物につき東京法務局世田谷出張所昭和四二年四月五日受付第一一五八九号をもって同日付売買を原因とする被告内山名義の所有権移転登記、同出張所同年六月二一日受付第二一四二七号をもって同日付売買を原因とする被告孫名義の所有権移転登記が存在することは当事者間に争いがない。

二  (本件建物の売買契約の成否)

≪証拠省略≫を総合すれば、次の事実を認めることができる。

原告の前の妻訴外宇田芳江(昭和四二年八月四日原告と協議離婚した。)は、昭和三八年一二月二七日訴外鈴木ハマとの間で証書貸付、手形貸付、手形割引契約を締結し、右契約上の債務を担保するため、原告の代理人として本件建物につき債権元本極度額二〇〇万円の根抵当権を設定することを約定して、金員を借受け、昭和三九年一月六日根抵当権設定登記を経由したが、芳江が借受金を弁済しなかったため、鈴木ハマは東京地方裁判所に対し本件建物の競売を申立て、昭和四一年一二月三日競売手続開始決定がなされるに至った。

更に、芳江は訴外荒木幸徳から昭和四〇年一一月一六日六〇万円、昭和四二年一月一三日三〇万円、合計九〇万円を借受けたところ、荒木は右借受金につき原告および芳江を相手どって渋谷簡易裁判所に対し和解の申立をなし(同裁判所昭和四二年(イ)第一六号事件)、昭和四二年三月八日の和解期日において荒木と原告(但し、右期日には訴外渡辺和礼が原告の代理人として出頭した。)および芳江との間で、前記借受金九〇万円につき原告と芳江が連帯して昭和四二年四月一二日限りこれを弁済すること、債務不履行の場合は、同月一三日限り荒木に対し本件建物の所有権移転登記および引渡をすることを骨子とする和解が成立した。

このような事情から、芳江は本件建物を競売から守り、また右和解調書に基づく強制執行を免かれるために、あらたに金員を調達する必要に迫られ、昭和四二年三月頃、渡辺、荒木、訴外山本進二を順次介して被告孫に対し四、五百万円の金員の借受方を申込んだ。しかし、被告孫は、手持金がなかったので、訴外木下永吉の妻である被告内山のもとに該金融の件を持込んだところ、被告内山は本件建物を担保に金員を貸与することを承諾し、被告孫に当該契約に関する一切の事項を委任したので、爾後被告孫は被告内山の代理人としてことに当ることになった。

そして、昭和四二年三月下旬原告方において、被告孫と原告の代理人を兼称する芳江との間で、本件建物を担保にして被告内山から原告および芳江に対し三五〇万円を貸与する旨の契約の大綱が定まったので、芳江はとりあえず本件建物の競売申立人である鈴木ハマと示談を結んで競売申立の取下を得、あわせて訴外松永巌の経営する訴外東洋企業株式会社に対する借受金の関係をも清算するため、昭和四二年三月三一日、かねて芳江が原告の代理人として依頼していた弁護士訴外林円力および被告孫、渡辺和礼、荒木幸徳、山本進二等とともに東京弁護士会館に赴き、鈴木ハマおよび東洋企業株式会社の代理人である訴外泥谷弁護士と面接し、同所において、一九〇万円の金員を支払うことによって鈴木ハマの競売申立を取下げ、且つ東洋企業株式会社との間の借受金も清算済とする旨の示談が成立した。そこで、被告孫は予め被告内山から交付を受けていた三五〇万円中の二〇〇万円を小切手で荒木を通じて林弁護士に交付し、荒木はうち一〇万円を芳江に戻す分として返してもらい、林弁護士は泥谷弁護士に対し示談金として一九〇万円を支払い、泥谷弁護士から競売申立の取下および鈴木ハマ名義の根抵当権設定等登記の抹消登記手続に必要な書類の交付を受けた(後に、昭和四二年五月三〇日鈴木ハマ名義の右登記は抹消され、同年六月一日競売申立取下の手続がとられた。)。

右示談の後、被告孫は芳江に対し、被告内山が荒木幸徳の芳江に対する元本九〇万円の貸金債権を九〇万円で譲受けたので、原告および芳江に交付すべき三五〇万円のうち九〇万円は右譲受債権の弁済に充当する旨申出で、芳江は右債権譲渡ならびに弁済充当を承諾した。芳江の荒木に対する借受金はこのようにして決済された。

昭和四二年四月五日被告孫と芳江との間で、被告内山の原告および芳江に対する貸金の総額は前記三五〇万円に更に芳江所要の六〇万円を加えた四一〇万円とすること、右貸金を担保するため原告から被告内山に対し本件建物を敷地七一坪八合六勺の賃借権とともに買戻特約付で売渡すこと、その代金額は四一〇万円とし、原告は昭和四二年六月五日までに被告内山に四三〇万円を支払って本件建物を買戻すことができる旨の契約を締結し、芳江は不動産売買契約書に署名押印するとともに、原告を代理する方式として売主欄に直接原告の氏名を記載し、名下に原告の登録印を押捺し、被告孫も被告内山を代理する方式として買主欄に直接被告内山の氏名を記載し、名下に同被告の印を押捺した。そして、右契約当日本件建物につき東京法務局世田谷出張所受付第一五八九号をもって被告内山名義の所有権移転登記を経由したので、被告孫は芳江に六〇万円を交付した。芳江はその際、金額を買戻金額に合わせて四三〇万円と記載した被告内山宛の領収証に前同様自己の署名、原告の記名および各押印をして、被告孫に交付した。

その後、被告孫は昭和四二年四月一〇日頃三〇万円、同年六月四、五日頃三〇万円をそれぞれ芳江に交付した。以上の次第で、被告孫が芳江に支払った売買代金(その実質は貸金)は合計四一〇万円に達したが、右は被告内山が被告孫に交付した前記三五〇万円および昭和四二年四月二日頃同様に被告孫に交付された六〇万円、合計四一〇万円によって支弁されたものである。

このように認められる。≪証拠判断省略≫

右認定事実によれば、昭和四二年四月五日被告内山の代理人被告孫と原告の代理人と称する芳江との間で売買代金四一〇万円、買戻代金四三〇万円と定めた本件建物の買戻特約付売買契約が締結されたものである(以下「本件売買契約」という。)

三  (芳江の代理権の有無)

(一)  ≪証拠省略≫によれば、芳江が原告の代理人として本件売買契約を締結した際、契約書および領収書の各原告名下に押捺した印影は、いずれも芳江が原告に無断で原告の登録印を用いて顕出したものであることが認められる(原告名下の印影が原告の登録印によって顕出されたことは原告も認めている。)。また、≪証拠省略≫によれば、昭和四二年三月七日付原告の印鑑証明書、原告名義の昭和四二年四月一三日付受任者、委任事項白地の委任状(乙第三号証の二)は前記示談の際に林弁護士から荒木に手交されたものであることが認められ、いずれも現に被告等の手中にあるものであるが、≪証拠省略≫によると、右印鑑証明書は芳江が原告に無断で下付を受けたものであることが認められ、また≪証拠省略≫によれば、右委任状の原告の氏名は原告の手書によるものでなく、名下の二個の印影中登録印によって顕出された分(右委任状、即ち乙第三号証の二の原告名下の印影の一つが原告の登録印によって顕出されたものであることは原告も認めている。)は原告の意思に基づかないで押捺されたもの、小型の印影は原告のまったく知らない印によって顕出されたものであることが認められる。また、≪証拠省略≫によれば前記契約書および領収証と同時に作成された原告名義の芳江に対する委任事項白地の委任状の原告の住所氏名は芳江が無断で記載し、名下に原告の登録印を冒用押捺して被告孫に交付したものであることが認められる。以上の各認定に反する証拠はない。されば、≪証拠省略≫をもって原告が芳江に対し本件売買契約締結の代理権を授与したことを肯認する資料とすることはできない。

(二)  乙第八号証は原告名義の委任状であって、文言上、渡辺和礼、荒木幸徳両名に対し本件建物により金融を受けるにつき一切の事項を委任する趣旨が読みとられ、原告名下の印影は原告の登録印によって顕出されたことは当事者間に争いがない。しかし、≪証拠省略≫によれば、原告の住所氏名は原告の手書によるものでないことが認められ、≪証拠省略≫によると、原告名下の印影は芳江が原告に無断で原告の登録印を用いて押捺したものであること、右委任状は芳江が渡辺を通じて荒木に交付し、現に被告等の手中にあることが認められるから、乙第八号証を原告が渡辺、荒木両名に対し当該記載のような事項を委任した事実を認定する資料とすることはできず、まして、乙第八号証によって原告の芳江に対する本件売買契約締結の代理権授与の事実を推認することは許されない。

(三)  ≪証拠省略≫には、芳江が原告から本件売買契約締結の委任を受けたと述べていた旨の供述部分が存するが、これを採って直ちに授権の事実を肯認することはできない。

(四)  証人渡辺和礼は、芳江が他から金員を借受けることは原告の知悉していたところであり、現に原告は芳江とともに渡辺和礼に七〇〇万円借受の斡旋を依頼し、同人に名刺(乙第九号証)を交付し、東京都新宿区内の金融業者銭屋に渡辺他一名とともに折衝に赴いたことがある旨供述し、電話局番の訂正部分を除き成立に争いのない第九号証が原告の以前使用していた名刺であることは≪証拠省略≫により明らかである。しかし、≪証拠省略≫を比照すると、渡辺和礼の前記供述中原告の言動に関する部分は真実に合うものと認め難い。また、被告孫本人は、昭和四二年六月五日原告から同被告のもとに二度に亘って電話連絡があり、当日到来した本件建物買戻の期限の猶予を依頼された旨供述するが≪証拠省略≫に照らし、そのまま信用するはできない。

(五)  以上のほかに原告が芳江に対し本件売買契約締結の代理権を授与した旨の被告等の主張を肯認するに足る証拠はない(本件売買契約が妻の日常の家事に関する代理権の範囲に属しないことは後記四、(三)、3で説明する。)。

四  (表見代理の成否)

(一)  被告等は民法第一一〇条の表見代理を主張し、いわゆる基本代理権として、原告が芳江に対し本件建物を担保に供して鈴木ハマから金員を借受ける代理権を授与した旨主張する。

昭和三八年一二月二七日鈴木との間で証書貸付等契約を締結して金員を借受けたのは芳江自身であって、右契約は芳江が原告を代理したものではないが、右契約上の債務を担保するため芳江が原告を代理して本件建物につき根抵当権設定を約定したことは前記二認定のとおりである。しかし、原告が芳江に対し右根抵当権設定契約締結の代理権を授与したことを認めうる証拠はなく、かえって≪証拠省略≫によれば、右根抵当権設定契約は芳江が原告の代理人資格を冒用してなしたものであることが認められるから、被告等の前記主張は採用できない。

(二)  また、被告等は、基本代理権として、原告が芳江に対し鈴木ハマに対する債務を弁済し、且つ弁済契約を締結し、競売申立取下の折衝等をする代理権を授与した旨主張する。

鈴木ハマが本件建物の競売申立をなしたこと、芳江が本件建物を競売から守るため、原告の代理人として依頼した林弁護士を患わして鈴木側と示談し、示談金一九〇万円を支払って、鈴木名義の根抵当権設定等登記の抹消、競売申立の取下を得た事実の詳細は前記二認定のとおりである。そこで、原告が芳江に委託して林弁護士を前記示談事項処理のための代理人として選任したかどうかが問題となるので、検討する。

1  ≪証拠省略≫によれば、芳江が原告名義の委任状を持参して、鈴木の申立にかかる本件建物の競売事件の処理と東洋企業株式会社の有する債務名義(その詳細は明らかでない。)に対する請求異議の訴の件を依頼したことが認められる。そして、特段の事情が認められない以上、右依頼は、鈴木および東洋企業株式会社との間の前記示談を含むものとみることができる。ところで、証人林円力が原告から委任を受けたと供述するのはもっぱら原告の妻であった芳江から原告名義の委任状を徴した事実に依拠するものと認められるところ、≪証拠省略≫によれば、原告自身は林弁護士に対する委任状を作成したことはないことが明らかであり、これと芳江が前述のとおり本件売買契約につき原告名義を冒用していくつもの書類を作成した事実をあわせ考えると、林証人のいう委任状は、これを同証人のもとに持参した芳江が偽造したものであることが推認される。されば証人林円力の前記供述部分を採って直ちに原告の林弁護士に対する委任の事実を肯認することはできない。

2  もっとも、本件建物の競売手続において原告は利害関係人に当るから、競売裁判所から競売期日の通知を受ける立場にあり(競売法第二七条参照)、事柄の性質上、右通知手続は適式に履践されたと推定されるのであるが≪証拠省略≫によれば、原告は昭和四二年六月一五日本件建物明渡の強制執行を受け(この点は後述する。)芳江から説明されるまで、芳江が鈴木ハマのため本件建物に根抵当権を設定して金員を借受けたことを知らず、自ら競売期日の通知に接して手続の進行を知る機会がなかったことも事実であること、原告は勤務先の業務(原告は訴外小網商店のトレッカ製菓部の代表者であった。)のため月に十二、三日も出張用務があり、このことも前記事情が原告に気付かれなかった一因であることが認められるから、原告が競売期日の通知に接して芳江を介して林弁護士に委任したという推論は成り立たない。

また、証人林円力は東洋企業株式会社が前記債務名義に基づいて有体動産を差押えた旨供述し、もしそれが事実であるとすれば、原告方の平穏な生活に起った重大な出来事であるはずであるから、それを機縁に原告が林弁護士に委任して事態の収拾を図ったと認めることが事理に適うであろう。しかし、≪証拠省略≫を通じて原告方に右のような出来事が生じたことを看取できない。右差押の事実の有無は被告等のいっそう適確な立証を俟たなければならないところである。

3  ≪証拠省略≫によれば、昭和四一年中原告が芳江とともに林弁護士のもとを訪れたことがあるが、これは東洋企業株式会社を主宰していた松永巌から原告が芳江の借受金の返済を請求され、勤務先の共済資金から四〇万円を借受けて返済したとき、芳江から東洋企業株式会社との取引について林弁護士に依頼して解決を図っていたと聞き、芳江に対し隠しごとを責めるとともに、林弁護士に前記返済の事実を報告する用件であったこと、原告は林弁護士から原告が四〇万円を返済したことによって解決すると告げられ、それ以上東洋企業株式会社から要求されるものはないと諒解して辞去したことを認めることができ(≪証拠判断省略≫)、その際、原告において芳江が原告の名で林弁護士に対してなした前記委任を追認したことを認めにる足る証拠はない。

(三)  更に、被告等は妻の日常の家事に属する代理権を基本代理権として主張する。

しかし、夫婦の一方が日常の家事に関する代理権の範囲を越えて第三者と法律行為をした場合において、その代理権の存在を基礎として広く一般的に民法第一一〇条所定の表見代理の成立を肯定することは夫婦各自の財産的独立を損うおそれがあるから相当でない。ただ、夫婦の一方が他方に対しその他のなんらかの代理権をも授与していない以上、当該越権行為の相手方である第三者において右行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときに限り、民法第一一〇条の規定の趣旨を類推適用して第三者の保護を図れば足るものと解される。本件において、妻の日常の家事に関する代理権を基本代理権として民法第一一〇条の表見代理をいう被告等の主張は、右説明の後段にいう民法第一一〇条の類推適用を主張する趣旨をあわせ含むものと認められるので、以下に当該主張の当否を判断する。

1  ≪証拠省略≫によれば、次の事実を認めることができる。

原告は昭和四二年四月当時小網商店トレッカ製菓部の代表者として、給与、賞与、責任者手当、出張手当を含め、月平均十二、三万円の収入があり、ほかに別会社の顧問として毎月一、二万円位の所得があった。当時原告方は原告と妻芳江、娘くみ子(同年四月私立女子大学に入学)息子嘉隆(私立大学在学中)の四人世帯であり、原告夫婦は外に戦争中の傷害の後遺症のため国立療養所で療養中の長男、他家に嫁いだ娘二人がいる。原告は本件建物には昭和一九年以来居住しており昭和三〇年にその所有権を取得した。その敷地は訴外みなみ商事株式会社の所有で、原告が前記嘉隆名義で右訴外会社から賃借中であり(但し、昭和四〇年一一月三〇日の賃借期間の満了によって賃貸借契約が終了したかどうかにつき訴外会社との間に争いがある。)、本件建物は原告方の生活の本拠となっている。本件建物敷地の賃借権は更地価格(昭和四二年当時坪当り二〇万円)の七割として一、〇〇六万〇、四〇〇円の価値があるものであった。芳江が原告の代理人として被告内山から四一〇万円を借受け、その担保の趣旨で本件買戻特約付売買契約を締結した直接のきっかけは、鈴木ハマから金員を借受け本件建物の競売の申立を受けたことと荒木幸徳から金員を借受けいわゆる起訴前の和解をして本件建物の明渡を迫られるに至ったことにあること前認定のとおりであるが、このように芳江が他から金員を借受けざるをえなかったのは、同人が知人の訴外株式会社共栄商事に対する借財の保証をし、債権者から保証人としての責任を追求されたことが発端であった。

このように認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

2  本件売買契約に当り芳江は原告から一切を委されていると述べ、原告の登録印を所持し、売買契約書、領収証の各原告名下にこれを押捺し、委任事項白地の委任状に原告の住所氏名を記載し、原告の登録印を押捺し、以上の書類を被告孫に交付したこと、契約締結に先立ち東京弁護士会館における示談をした際林弁護士から荒木幸徳に交付された原告の印鑑証明書、原告名義の白紙委任状が被告等の手中にあることは前認定のとおりである。

3  前記1認定の事実によれば、原告夫婦はほぼ中流に属する家庭生活を営んでいるものであって、本件建物は敷地の賃借権とともに原告方の重要な資産であって、まさしく生活の基礎をなすものであり、たとえ買戻特約付であれ、これを他に売却することは原告方の資産状態およびその基礎の上に築かれる共同生活に著るしい変動をもたらすものであることが明らかである。しかも本件建物は原告の所有であり敷地の賃借権も賃借人名義こそ原告の子であるが実質上原告に属するものであり、いずれも妻である芳江に属する権利ではない。のみならず、本件売買契約が締結されるに至った発端は原告夫婦の共同生活の維持に直接のかかわりがあるとは考えられない芳江の債務保証行為にあった。叙上原告の職業、収入、資産、芳江のした本件売買契約の内容およびそれが原告方の資産、生活に及ぼす効果ならびに右行為の原因関係等の諸事情を斟酌すると、本件売買契約は客観的にみて原告夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属するものとは認められない。

4  そして、夫婦はその相互信頼によって密接に結ばれている故に、一方が安んじて他方に登録印を託して事務処理を委任する間柄にあるといえる反面、夫婦の一方が、事情により他方の登録印を無断で用いて印鑑証明書の交付を受け、他方配偶者名義の委任状を作成したうえ、その代理人資格を名乗って右登録印を契約書や金員領収証に押捺する行為に出ることは、本人と代理人がそのような身分的共同生活関係に立たない場合に比べて、比較的容易になしうることであることも否定できない。のみならず、四一〇万円の債務の担保として一、〇〇〇万円を越える価値のある物件について買戻特約付売買契約を締結し、その行為の効果たるや原告夫婦の資産、生活に著るしい変動をもたらすものであるというのに、物件の権利者である原告自身は契約の締結はもとよりその事前の折衝にも全く姿を見せていないという状況だったのである。従って、被告内山の代理人として契約に関与した被告孫としては、芳江が原告の代理人として前記2のとおり振舞ったために本件売買契約を原告夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信じたとしても、今一歩を進めて直接に本人である原告につきその意思を確認すべきであった。被告孫が右のような確認措置をとらなかった以上、これを省略して迅速にことを運ばなければならなかったという特段の事情も認められない本件においては、被告孫が本件売買契約を原告夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由があったとすることはできない。結局、民法第一一〇条の規定を類推適用して原告につき本件売買契約の効力を生ずるとすることはできない。

五  以上によれば仮に被告内山と被告孫との間に本件建物の売買契約が締結されたとしても所有権移転の効力を生ずるに由なく、被告等の抗弁は全然理由がないことに帰する。従って本件建物は現になお原告の所有であり、また、被告内山、次いで被告孫名義でなされた本件建物の所有権移転登記はいずれも原因関係を欠くものとしなければならない。

六  (和解の瑕疵について)

被告内山を申立人、原告および芳江を相手方とする渋谷簡易裁判所昭和四二年(イ)第五五号和解事件につき昭和四二年五月一五日別紙条項の和解が成立したこと(以下「本件和解」という。)、右和解期日に芳江が相手方たる原告の代理人を兼ねて出頭したことは当事者間に争いがない。ところで、≪証拠省略≫によれば、原告は芳江に本件和解の代理権を授与していないことが明らかであるから、本件和解はそれと併存ないし競合する和解契約が無権代理人によって合意されたという実体法上の無効原因を包蔵する点において無効であり、執行力を生じないことは疑いの余地がない。

七  (被告等の占有とその適否)

被告内山が本件和解調書の執行力ある正本に基づき昭和四二年六月一五日本件建物明渡の強制執行をなし、本件建物の占有を取得したことは当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫によれば、被告内山は前記占有取得直後被告孫に本件建物の管理を委託し(昭和四二年七月一五日頃まで本件建物の門柱に「内山仁」という表札が掲げられていた。)以来被告孫が現在に至るまで本件建物を直接に占有していることを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫右認定事実によれば、被告内山は被告孫を占有代理人として昭和四二年六月一五日以降同年七月一五日頃までの間本件建物を占有していたもの、被告孫は直接占有者として昭和四二年六月一五日以降現在に至るまで本件建物を占有しているものである(被告孫が現に本件建物を占有していることは当事者間に争いがない。この点に関し、≪証拠省略≫によれば、原告は、原告を債権者、被告等を債務者とする東京地方裁判所昭和四二年(ヨ)第七二四五号不動産仮処分申請事件につき発せられた仮処分決定((本件建物に関する債務者等の占有を解いて執行官の保管に移したうえ、債権者に使用を許す旨の決定))に基づき昭和四二年一〇月二六日被告孫に対する執行を了し、被告孫から本件建物の占有を回復したことが認められるが、このように債権者たる原告をして権利の満足を得させた前記のような内容の仮処分の執行がなされた場合には仮の履行状態が作り出されているにすぎず、その当否は本案訴訟の当否にかかっているのであるから、その仮の履行状態を本案訴訟の当否に関する判断の資料に供することは許されない。)。

ところで、被告内山が本件建物の占有を取得する手段とされた強制執行は元来執行力を生じない本件和解調書を債務名義とするものであるから、違法といわざるを得ず、被告内山および同被告の占有に由来して本件建物を占有する被告孫は、本件建物の所有者である原告に対し、被告内山が強制執行により本件建物の占有を取得したことをもって正当な占有権原があると主張することは許されない。

そうであるとすれば、被告等は前記占有期間内の不法占有により原告の本件建物の使用収益を妨げたものであるから、原告の蒙った損害を賠償すべき責任があるところ、該損害額が原告主張の一ヶ月五万円の割合による賃料相当額であるとの点についてこれを肯認するに足る証拠がない。

八  (結論)

以上説明したところによると、本件建物は原告の所有であるところ、弁論の全趣旨によれば被告等はこれを争っていることが認められるから、本件建物が原告の所有であることの確認を求める原告の請求は正当として認容すべきである。また、被告等に対し、それぞれその名義の本件建物の所有権移転登記の抹消登記手続を求め、被告孫に対し本件建物の明渡を求める原告の請求はいずれも正当として認容すべきであるが、被告内山に対し本件建物の明渡、被告等に対し不法占有に基づく損害金の支払を求める原告の請求はいずれも失当として棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 蕪山厳)

〈以下省略〉

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